盛岡・初夏の風物詩 「ちゃぐちゃぐ馬っ子」

飾り馬

馬は神の乗り物であるという考え方が昔から日本人にあって、それがさまざまな習俗に現れている。
お盆行事のワラ馬や、茄子や胡瓜馬の習俗もそうだし、絵馬は神への献馬の名残です。
花嫁は馬に乗るという風習は、カミサンと呼ぶ風習とともに、案外こんなところに根源があるのかも知れませんね。
田植えが終わった6月第二土曜日は、不思議と毎年雨の降らない特異日らしく、晴天の日が多い。

蒼前神社は小高い集落の中にあり 早朝ここから行列が出発します。

実にのどかな風景です。



「これが寛政(1789)の頃から、旧5月5日の端午の節句恒例の鬼古里お蒼前さま馬祭りのお詣りに、その自慢のお下げ渡しいただいた小荷駄装束をつけて馬の引祭りをする者が現われ、たちまち大流行になった。
この小荷駄装束には昔ながらの旅支度がつけられ、そのままチャグチャグ馬コ特有の装束に発展したのだといわれている。
チャグチャグ馬コの飾り馬は、「小荷駄装束」という馬装です。
軍列の後方に従っていた輸送隊が纏っていた軍用の馬鎧から生まれたもので、威網の編み方はそのまま残されていて、江戸時代の南部侯の参勤交代に従う「小荷駄方御手伝」という賦役には、近郊十ヵ村の篤農家がこの鎧馬装の馬引きとして行列に参加した。
「お貸し下げ」の装束を「お下げ渡し」してもらって保管していた。


なぜ旅支度かというと、神社のお祭りと同時に馬市が開かれていて、取引が成立した馬はその馬主や代理人が遠く白河の関や佐原の木戸あたりまでも長い野宿の旅を続けて送る慣わしだった。
だから参集に際しては人馬ともに旅支度をつけて敬虔に、また喜び勇んで家を出る慣わしになった。
詳しい情報は滝沢村HPに載っていて、さんさHP、疾風のたよりHPなどに詳しく紹介されています。
東北の歴史と文化に馬は大きく関わっており、幻の南部馬をたずねて(←十和田乗馬倶楽部)は、それを丁寧に紹介しています。
・・・馬を実際に育てる農家の生活のことが、たくさん紹介されています。

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